“誰も聞いたことのない開高健”~~釣聖の文豪に長靴を履かせた越後の釣り名人・五十嵐明朗さん

奥只見・銀山湖の大イワナ釣りを世に知らしめたのは「スプーンの神様」と言われた故常見忠さん(元中日釣ペン同人)ですが、とっておきの情報を忠さんに教えたのが新潟県魚沼市青島(旧小出町)で、1987年から釣具店「マウンテンクリークハウス」を営む五十嵐明朗(いがらし・あきろう=元中日釣ペン、バリバス・スーパーバイザー)さんでした。
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さらに「タイメン」(ロシア・アムール川などに生息する怪魚イトウの現地名)を狙う新潟空港発着のロシア・フィッシングツアーを初めて実現させた先駆者でもあります。こうした五十嵐さん業績は知る人ぞ知るエピソードですが、釣り界では一般的に故常見さんの“手柄話”になっているようです。
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(写真は魚野川沿いにある五十嵐さんの白い店舗兼自宅と手前が故常見忠さん宅=現在は娘さん夫婦が住んでいる)
もう一つ、五十嵐さんは故常見さんが「セントラル・フィッシング」を設立して製造販売した国産スプーンの先駆けになった「バイト」のプロトタイプを作り、その金型を無償で譲った言わば国産スプーンの生みの親でもあったのです。
本来なら忠さんが立ち上げた会社から今で言う「社外重役」として、それなりの報酬が支払われても可笑しくないのですが、「一銭も私の懐には入ってきませんでした。むしろ、持ち出しになっていますよ」と五十嵐さんは苦笑い。
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そして、ン十年後、忠さん夫妻がマウンテンクリークハウスの裏手、それこそ目と鼻の先にあるログキャビン風の別荘を買い取り、引っ越して来ても交流を深めることは全くなかったのです。

閑話休題。故開高健さんの様々な釣行を一冊の本にまとめた朝日文庫「長靴を履いた開高健」(滝田誠一郎著=小学館発行の月刊「ラピタ」に29回連載、同誌は2009年1月号をもって廃刊)を拝読すると銀山湖の釣りが紹介されていますが、五十嵐さんが登場する記述は一切ありません。
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(北ノ又川にイワナを放流する開高さんが履いている長靴は後方でリリースを見守る五十嵐さんが脱いで提供したのです)

まだ山小屋然とした「村杉小屋」に泊まり、小説「夏の闇」の構想を練りながらイワナ釣りに明け暮れた開高さんを釣り場に案内したり、北ノ又川へ獲物のイワナを放流する際、長靴を忘れた開高さんに「裸足じゃ水が冷たくて放流なんて無理!」と自分の長靴を脱いで履かせたのが五十嵐さんだったのです。
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(故開高健さんからプレゼントされた当時、日本では入手困難だったミノープラグを手にする五十嵐さん=手前のタックルボックスにも記念にもらった数々のルアーが大事に保管されていました)
「2、3回呼ばれてランプしかない村杉小屋の離れでダルマ(サントリー・オールド)を2人で飲み交わし、朝までに1本空けました。当時、まだ日本では売られていない貴重なルアーも頂戴しました」と言いつつ、五十嵐さんは開高さんの思い出が詰まった数々のルアーを見せてくれました。
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開高さんは彼に「今度は君をロシアに釣れて行くからな……常見君には黙っていろよ」と約束し、1989年12月9日に他界しましたが、五十嵐さんは翌夏の遠征に備えて何と「タイメン」と命名したスピニング・ロッドを特注で製造していたのです。

後年、その1本を私にプレゼントしてくれ、相模湾で黎明期だったシイラ・ゲームや南房・平砂浦のサーフ・トローリングなどに使わせてもらいましたが、現在は折損を恐れてコレクション・アイテムになっています。   (元東京中日スポーツ釣り担当デスク/日本釣りジャーナリスト協議会・会友 森本義紀)