小学館の電子書籍「誰も見たことのない開高健」に描かれていない真実!パートⅠ

釣りファンに魚に対する畏敬の念を抱かせ、キャッチ&リリースの精神を広めた小説家・開高健さんが逝去して間もなく30年を迎えます。ご存命なら米寿のお祝いをしなければいけませんが、それに呼応して開高健電子全集完結記念写真集と銘打って、小学館から電子版「誰も見たことのない開高健」(企画・構成・文 滝田誠一郎=税込1512円、検索で“立ち読み”も出来ます)が2月に発刊されました。
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故人が動画に初出演したセルビデオ「河は眠らない」(その後、DVD化)を企画、撮影(静止画)、監督したのが私の「ボス」こと敬愛する写真家・青柳陽一先生(80)で、何と7年掛かりで口説いた末にアラスカでロケした作品です。
これを機に開高さんの古巣「サントリー」(壽屋)がスポンサーになって、テレビ番組の海外釣行記が続々と制作されるようになったのです。
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(開高健さんの写真パネルが展示されている福島県伊達市月舘町のプチホテル「つきだて花工房」で寛ぐ写真家の青柳陽一先生)
その顛末は電子書籍に「開高健×青柳陽一」のタイトルで掲載されていますが、生前の開高さんに会わずに著されたと思われる「誰も見たことのない開高健」の釣りに関するコンテンツには『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』とも言える記述が見られます。
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(ゴールデンウィーク前でも雪深い時がある丸沼湖畔)
最も顕著なのが「開高健×菅沼のニジマス ABU賞で世界の釣師・開高健」のコンテンツです。一度でも菅沼を訪れた人なら、これが隣接する「丸沼」と即座に分かるでしょう。実は福島県伊達市保原町に住むボス宅で、発刊されたばかりの同誌を読ませてもらったところ、この大きな誤植に気付きました。
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電子書籍に提供されたボスの写真は「紙媒体で発刊されると思っていた」とボスは話してくれましたが、小学館の依頼に応えたのは4年前だったそうです。それが何の連絡もなく突然、電子書籍になった揚げ句、写真家・青柳陽一のクレジットも未表記だったのです。
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菅沼→丸沼の見出しも含め、ボスからの指摘で電子版は即座に修正され、事なきを得ましたが、印刷出版なら書店から回収して新たに刷り直して製本と大変な出費になったと思われます。

さらに致命的ともいえる見逃しが前述の文章の中で丸沼へ釣行したのは、1969年3月末のこと――とありますが、これも丸沼の釣りを知っている方なら「どうやって雪深い丸沼まで行ったのだろう? 湖面だって全面結氷しているはず……」と懐疑的になるはず。昨今の気象は暖冬ですから3月末でも釣れるかもしれませんが、丸沼に通って50年の私の記憶ではマス釣り解禁は4月25日前後が定例でした。そして掲載された写真では開高さんの足元に全く雪がありません。
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(去る5月19日に開催された15回目の丸沼釣り大会は長年、同大会などを取材してきたスポニチAPCの若林茂さんを哀悼するイベントになり、表彰式では井上支配人が故人の思い出を語って挨拶に代えました)
念のため、今年の5月19日に丸沼で開かれた釣り大会の帰路、系列の「白根魚苑」で嘱託として働いている丸沼温泉ホテル「環湖荘」の元支配人(当時の肩書は株式会社 丸沼 取締役・片品地区事業所 統括部長)小山内康夫さんに尋ねたところ、「3月末? 何かの間違いでしょう」と言い、6月8日に再び環湖荘を訪れて旧知の井上勝支配人に確認したところ、「ご存知の通り、4月末の特別解禁だって湖面が結氷している時がありますから3月末じゃ雪と氷で釣りなんて出来ませんし、ここにも入って来られません」と断言。
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(2017年4月26日の丸沼は湖面の半分以上が結氷していました)
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(2017年4月27日の特別解禁前日、結氷した湖を船外機を装着した環湖荘のボートで砕氷する井上支配人=手前=とスタッフの宇津さん)
という次第で開高さんの丸沼釣行は“誤記”“誤植”か分かりませんが、最初の原稿で「五月」と書かれていたのを見誤って「三月」にしてしまったか、ご本人の記憶違いだった可能性も推測できます。
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☆特別公開! これが本当に『誰も見たことがない開高健』の釣り姿☆
50代の開高マニアが「こんな写真があったんですね!」と絶句したのが開高さんが公私にわたり師と仰いだ故井伏鱒二さんとの釣行写真です。
撮影したのは私を一人前の釣り記者にしてくれた恩師の故高崎武雄先生(日刊紙=東京中日新聞=に初めて釣り欄を創設した釣りジャーナリストの草分けです)で写真の御両人は無論、故瀧井孝作さんや故佐藤垢石さん(アユの友釣り名人で高崎先生と井伏さんは門下生)とも親交があり、戦前は報知新聞でカメラマンをされていた――と聞いています。
(元東京中日スポーツ釣り担当/日本釣りジャーナリスト協議会・会友 森本義紀)

この記事へのコメント

常見忠さんインタビューより 1
2019年04月20日 17:24
群馬県 丸沼での釣り遊び
 1969年3月、開高さんから電話がありました。
「まだ奥只見湖に入れないのか?」
 奥只見には残雪があって無理だというと、開高さんは退屈されていたのでしょう。
「何か月も釣りをしていないから、どっかないか?」というので、群馬県奥日光に丸沼という湖があり、野生のニジマスを釣りに行くことになりました。
 3月はかなり雪が多いのですが、ダム工事のために水が減っていたから車が入れます。開高さんに電話をしますと、翌日には桐生の私の家に飛んで来られました。
常見忠さんインタビュー2(続き)
2019年04月20日 17:26
 3月21日の早朝に丸沼に到着しました。
 山と森のなかに一つの鏡がある。これが丸沼である。…私がこのかわいい湖を知ったのは二年前、一九六九年の三月である。…足跡をさして常見さんがいう。「私の足跡です。昨日、検証にきたんです。魚のほうは、ちょっとキャスティングしてみただけなんで…ドイツ直伝のウデで、ひとつ」…
(開高健著『フィッシュ・オン』)
 開高さんがよく使われる言葉でいえば、「氷雨(ひさめ)」です。みぞれが降って凍るような朝でした。
 湖が減水していますから、湖の周囲を歩くことができます。開高さんは山から川が流れて入る「流れ込み」の場所に釣り竿を構え始めます。
 釣り人にはいろいろなタイプがいます。
 1カ所にじっとしていないで、釣れないとすぐに動くタイプ。私もそうですが、ルアーを5、6回も投げて、魚の反応がなければ、すぐにポイントを変えて移動していきます。
 逆に、じっくりと我慢に我慢を重ねて、一箇所で粘りに粘るタイプがいます。開高さんはこの一箇所集中型のタイプでした。
 1つの場所に3時間も粘っているわけです。ルアーのキャストを何百回も繰り返しています。
 七時からキャスティングを開始し、八時になり、九時になったが、ノー・ヒット、ノー・ストライクである。…ずいぶん根気よく、あの手、この手を演じているのだが…常見忠さんは少しずつ移動していき、いまはその姿が小さくなり…十時になると全身がぐっしょり濡れたうえ、肉は凍れて硬ばってしまい、…棒杭のようにつったったままで移動しないのは「ニジマスは回遊する癖がある。…オレは回遊しているはずだと考えた。…」(開高健著『フィッシュ・オン』)

常見忠さんインタビュー3
2019年04月20日 17:28
 私は湖を一周しながらも、あまりよい釣果(ちようか)に恵まれず開高さんのいる場所に戻ってきました。
 すると、いきなり、「ブラボー」と声が響きました。丸沼の大自然の中で大きく太った、65センチの野生のニジマスです。開高さんはこれを
鼻高々と持っています。よほど嬉しかったんでしょうね。さすがに3時間も粘って釣り上げただけのことはありましたね。
 むしろ移動しなかったのは…無気力と減退と敗北感にのされてしまっていたのである。…とつぜんガスと蒼白を裂いて魚がよことびに跳躍し…魚は少しずつ寄ってきた。(開高健著『フィッシュ・オン』)
 これがそのときの写真ですが、芝居の上手な役者みたいに見えますね。開高記念館のパンフレットにも載っている写真です。
(小出郷新聞社 松原)
開高健さんの生誕80年のときに、魚沼市在住の常見さんにインタビューした内容です。一部、開高さん執筆文を引用。ご参考までに。
常見さん(続き)
2019年04月20日 17:39
 やはり、作家というのは自分自身をどこまでも追い込んで、最後に何かをヒットさせなくてはならない。それが宿命なのですね。
 このモノクロ写真を開高さんに差しあげました。開高記念館で遺品を整理したところ、この写真が出てきたそうです。
 このときに開高さんが使われたルアーは、スウェーデンのABU(アブ)社製のものでした。
 開高さんは、私に隠していたことがありました。実は、ABU社のルアーや釣り具などの製品で魚を釣れば、同社のコンテストに申し込むことができたのです。
 開高さんは、いたずら心の強い人で、私に知らせないでコンテストに応募して、いきなり受賞したことで私を驚かせてくれました。
 丸沼で私が釣った魚は40センチでしたから、一箇所集中型で3時間も同じ場所で釣りを続けた開高さんに私は完敗しました。開高さんは鼻高々でしたよ。
 アメリカ人は特にジョークが好きですから、「外国へ行って、ジョークができないヤツは相手にされない」って開高さんもよく話していましたよ。特にアメリカは文化水準が高く、上等なジョークが必要とされます。
 開高さんのことをお話していると、40年も前の開高さんの姿が彷彿(ほうふつ)して浮かび上がります。他の方も言われますが、頭の中に浮かぶ開高さんの姿、映像はいつも同じですよ。
 「哀れな開高や。」と突然電話がかかってきます。開高さんの電話は最初は丁寧ですが、親しくなりますと
 「よれよれや。よれよれの開高や。」
と関西弁で電話を掛けまくるのが開高さん流で有名でした。このように親しく切り出されますと、断れませんよね。
 開高さんが長逗留されたのは、新潟県の奥只見湖と群馬県奥日光の丸沼でした。新潟に来ると銀山湖で釣りをしたり、丸沼はその中間点ですから長いと1週間から10日くらい逗留するわけです。

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